ロレーヌ地方の中心地ナンシー市はパリ東駅から東へ約300キロ特急ならば2時間半。穏やかな起伏の連なる丘陵地帯で鉱業が盛ん地下資源の豊富なところ。

日本でフランス国鉄のHPからパリ東駅〜nancy -ville駅までと翌々日のNancy -ville駅〜Mets駅〜フランクフルト中央駅までの切符を買っておいた。

公園や街路の植栽が大事に手入れされている。中央の葉はナンシーの街中に文様となって装飾さているアーカンソー

ナンシーの歴史
ナンシー市は12世紀頃からロレーヌ公国の首都として栄えたが、今日見られるような街並が築かれたのは18世紀中頃のこと。 ルイ15世の義父であるスタニスラス・レスチンスキーがロレーヌ公国の王位に就いてからだ。ただし1代限りでゆずりうけた。王は建築をはじめとする芸術活動に情熱を傾けた。そのスタニスラス王がナンシーに咲かせた大輪の花がロココ建築である。

←ロレーヌ門

ロレーヌ公の館

併設のロレーヌ地方博物館 Musee Lorrainはガリア・ローマ時代にはじまるロレーヌの歴史に関する展示を見ることができる。

スタニスラス広場
ポーランドの廃王の身を娘婿ルイ5世がローレーヌ公国の王として封じてくれた。その娘婿を称えるために造営した広場。王の銅像を中心にすっきりした厳かな広場。壮麗な黒と金に彩色された鉄骨の門は世界遺産指定。建築家エマニュエル・エレと金具工芸職人ジャン・ラムールの作。
Grand Hotel de la Reine

スタニラス広場の一角を占めるホテル。マリーアントワネットも滞在。オーストリア女帝マリアテレジアに婿入りした父ロトリンゲン公はこの公国出身。格調高くロココ風の室内は典雅だがいささかご老体のホテル。

トラムは未完成
アールヌーボー
時代背景
19世紀末、印象派が絵画のジャンルに革命をもたらしたよ うに工芸分野でも美的感覚にあふれた「アール・ヌーヴォー」という新しい様式の芸術運動が起こった。19世紀は博覧会と博物館の時代で事実と計量可能であることが重視された。統計学的な視点によって事実を認めるという知のあり方がトレンディだった。
トータルファッション
ルイ・マジョラムの家
アール・ヌーヴォーという装飾デザインの名称はパリの美術商サミュエル・ビングが開いた店「アール・ヌーヴォー」が由来。
アール・ヌーヴォーは、個別の家具や日用品のデザインとしてだけではなく、生活や生活空間のすべてを覆い尽くしていこうと張り切った。それは当時の新しい感覚や新たな生活様式を求める時代風潮にぴったり合った。産業革命以降粗悪になった実用品に芸術性を取り戻したかった。1900年の万国博覧会に出品し、大好評を博し全世界に広まることになった。ナンシーは地理的にはパリよりブリュッセルに近いため、べルギーのアール・ヌーヴォー建築の影響が色濃く曲線多様で表情豊か。


アールヌーボーの建築群

Art nouveau en Nancy

市内のブラセリーで満喫できる。
ナンシーに花開いた理由
税金の関係でナンシーに台頭した産業ブルジョワジーたちが移り住み競ってこの19世紀の産業社会の実証主義的な精神を反映し総合的なデザインとして現れた受け入れた。今も彼らの美しい邸宅は住み継がれ大切に保存されている。
日本趣味(ジャポニスム)

日本から留学した高島得三(北海)持参した植物図鑑の影響そして彼が経済的に当時の芸術家たちを支援したとか。?ユーロッパにない日本の柿の文様が住居の壁面のレリーフになってたり茶花も多く文様に使われている。嬉しい。草花四季が明確で日本人の嗜好にあうのでナンシーの特にガラス工芸品の日本は世界有数のコレクター。例えばガレの傑作ひとよ茸4体のうち日本が3体所有。フランスで一時流出した多くのナンシー派の美術工芸品特にガレの作品を買い戻そうと言う案もあったとか。

北澤美術館ガレの傑作ひとよ茸のランプを鑑蔵。

ナンシー派美術館
ナンシー派のパトロンだったジューヌ・ゴルバンの私邸を改装した建物が美術館となっている。エミール・ガレの遺作のベッドやランプ、グリューベルの「女と黒猫」などのステンドグラス、マジョレルの家具などを所蔵。ヴァランの食堂を再現したり、生活する雰囲気のなかで作品を観賞できる。3年前の冬館長自ら『ひとよ茸が無かった』と涙ぐむ私のためマジョレムの家具に囲まれた部屋を案内してくれた。暗い隅に置かれて見落としていたランプを点灯してくれた。息を飲む妖しくも美しい光だった。今回は展覧会に貸し出しのため見ることが出来なかった。
エミールガレ
食堂 ヴァラン作の家具
ナンシー美術館  MUSEE DES BEAUX-ARTS DE NANCY
スタニスラス広場に面しておりナポレオンが国民の文化レベルと高めようと、15の美術館を選んでルーヴル美術館レベルの美術館を作らせる政策をとった際に選ばれた。ルーベンスの「キリストの変容」はその時に購入されたもの。
ティントレット、カラヴァッジョなどイタリア絵画、ドラクロワなどの19世紀フランス絵画、マネ、モネ、ボナール、ユトリロ、モジリアーニなどの19世紀、20世紀絵画が見どころ。地下に発掘された中世の城壁遺跡と150点以上ものドームの工芸品が並ぶ様子は圧巻。
スタニスラス・レスチンスキー Stanislas Leszczynski,
1677年〜1766年
ポーランド継承戦争元ポーランド王。ロレーヌ公スタニスラス・は啓蒙君主と呼ばれ、ロレーヌ公国の芸術、文学、科学の発展に貢献した。美食王と言われ数多くのお菓子も創作。亡命中に出会ったくクグロフが大好物。コメルシーに滞在中の宴会の
料理長と菓子職人が喧嘩をしたことがきっかけで代わりに
お菓子を作ったのがマドレーヌという女性。彼女の名前が付いたこのお菓子こそ銘菓マドレーヌ。
王は早速ベルサイユで肩身狭く暮らしているルイ15世妃の我が娘マリーにこのお菓子のrecetteを伝えた。ポンパドール侯爵夫人に首っ丈のルイ15世の心が少しでも愛娘に向けられるようにとの親心だった。
お菓子の街ナンシーの特産品ミラベル

スタニスラス王も愛したに違いない。

ナンシー観光局

スタニスラス広場の一角にある。スタッフが親切で売店の品揃えは豊富。

TOPに戻る