| エミールガレ | |
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いつもパリに着くと必ず店舗数250店の世界一の骨董街ルーブルドアンティケールに行く。『高い』というのがもっぱら。フランス人のレストランオーナーに訊いたら『パリは高いので南仏で買う』とのこと。でもいつもアメリカ人でいっぱい。この頃はなぜかロシア人の客が多いそうだ。私は大掛かりでなくてチマチマと一隅にそこだけ古き良き時代の香りを漂わせてくれるものでいい。いたってささやかな客だ。ルイ15世様式というのは良く残っていてホテルのロビーなど現役で活躍している。また修復体制流通もちゃんとしている。バステーユのあたりにはそういう職人さん達の横丁もある。 |
| アンティークのこと。 | |
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一つだけ飾りにルイ15世様式の椅子を買ったらもう家族に迫害された。息子なぞ『見るだけでムズムズする』あるとき流れが変わった。夫が意外な座り心地の良さを発見。それに夫はヨーロッパのホテルでこの時代の家具に結構慣れ親しんでいたのだ。それに昔から持っていた椅子の張り替えに手こずっていた。新品を買ったのと同じくらいかかる。あれやこれやでフランスで買おうとちらっと思った。パリのホテル出入りの骨董家具屋さんをコンシェルジュから紹介して貰ったこともあった。古くからアカジョウ(マホガニー)の集散地として有名だというのでボルドーの骨董街にも行ってみた。全て大振りで時代も少し古いせいか飾りがごってりしてる。リヨンの骨董市で絹張りの椅子を見つけた。それにとても華奢な美人のデイーラーだった。 |
| エミールガレ |
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1846年5月4日、フランス北東部ロレーヌ地方ナンシーで、鏡ガラス工場を経営する業シャルル・ガレの家庭に生まれる。リセでは優秀な成績をおさめ、特に詩には深い造詣を見せていた。 ドイツ、ヴァイマールに留学し、詩、文学、哲学、植物学、鉱物学、建築学、装飾美術をおさめた。 植物学においては大家となり、また、再度科学を学ぶことによって、その後のガラス制作に大きな発展を もたらした。当時の美術界をゆるがしたジャポニズムの先導者、また象徴主義の原動力として、その功績は画家ギュスターヴ・モローと並んで、19世紀末フランスの代表的芸術家として、その名をとどめている。 高い教養が裏付けとなって、ガラス芸術に投じた信念と自信ははかり知れないものであった。 当時の万博や様々な展示会、知識階級に絶大な力を持っていたサロンでの成功は華々しいものであった。 現在、残された作品の芸術性の高さは、比類なきものと、今日また世界的に再評価されている。 1904年9月23日、白血病により、58歳の生涯を閉じた。 エミールガレ美術館館長の紹介文の引用 |
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ナンシー市にガレの作品に会いたくて行った。殆ど何も売ってなかった。あとで聞くとみんなパリに集まってるとか。ガレがガラス製品以外に熱中したのはマーカトリーと呼ばれる寄せ木細工だった。パリ万博で大好評を博した。ガレのコーヒーテーブルが目に留まった。もうひとつの方はパリ万博に展示した品でプレミアがついていて高額。 |
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