道の街STRASBOUG

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ストラスブルグはフランスの北東に位置し、ライン川とヴォージュ山脈にはさまれたアルザス地方の首都。 |
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ローマ時代よりヨーロッパの南北を結ぶ街道と東西を結ぶ街道の十字路として栄えてきた。国境を接するドイツとは鉄鉱石や石炭など豊富な地価資源をめぐって領有権争いを繰り広げ、数奇な歴史にはぐくまれた。そのためか文化や風習は、フランスのなかでも独特なものだ。この街の名前を訳すと「道の街」。アルザスが「ヨーロッパの十字路」と呼ばれるように、ストラスブールもその中心都市として、中世から今日にいたるまで交通 の要所として繁栄してきた。ミュンヘン中央駅からドイツ鉄道に乗り列車でストラスブルグに向かった。 フランクフルトで息子と合流し一緒にロマンティック街道を南下した。バイエルン王国の首都ミュンヘンはドイツのアテネと称される明るい街。楽しかった。途中ライン川を横切る。約2時間の列車の旅。昔ボンに駐在していた妹夫婦がグルメの街ストラスブルグへ週末に食事に行くといってたがこの近さを実感した。 |
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ラインの支流イル川が水の糸のように街を取り巻く。 |
| ストラスブール大聖堂 | |
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高さ142メートルの尖塔をもつ街のシンボル的存在。ヴォージュ山脈特産のバラ色の砂岩でできた荘厳な建物は、ゴシック建築の傑作とわれる。『最後の審判』が描かれた「天使の柱」や12〜15世紀のステンドガラスなど見どころが尽きない。なんといってもレースのような精緻な彫刻のせいである種の軽やかさがありふあ〜と地上に舞い降りた
12時30分にからくり時計の動く天文時計が人気 |
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大聖堂を飾るこうのとり。信心深いに違いない。葡萄の枝で大きな巣を高い屋根に作るこうのとり。モロッコなどから4ルートでヨーロッパに避暑にくるそうだ。 |
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夏期にはストラスブルグ電気会社と市当局の割り勘?で光のページェントがある。聖堂内部からのライトアップは歓声があがった。右端にはこの地に飛来するコウノトリの彫刻が飾ってある。郊外には木の上にコウノトリの巣が沢山ある。 |
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15世紀の古い大商人の家が今はレストランになっている。 |
| ホテルRegence | 運河は部屋の真下。折り返し点ですれ違う船同士が苦労していた。 |
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旧市街はイル川に囲まれた「大きな島」に広がる。ストラスブール大聖堂や18世紀にストラスブールの司教館として建てられ、現在美術館となっているパレ・ロアンなど見どころが集まり、歩いても十分に回ることができる。運河沿いに木組みの家が並ぶ町並みが印象的なプチット・フランスの界隈にはもともと水を必要とする粉屋や漁師が暮らしていた。この木組みの家は16世紀から17世紀のアルザス地方の典型的な建築だ。 グーテンベルグが印刷術を発明したと伝えられるストラスブールはヨーロッパ議会やヨーロッパ人権委員会の本部が置かれ、ヨーロッパを代表する国際都市のひとつとしての役割も担っている。 |
| ロアン館(ストラスブルグ美術館) | |
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1704年、パリの名門貴族出身の枢機卿マクシミリアン・ド・ロアンがストラスブール司教となった。その後彼が司教宮殿としてのロアン宮を建てさせた。ストラスブール司教の地位はロアン家の世襲となった。ロアン司教は16才でフランス領に足を踏み入れたマリーアントワネットをこの地で迎え全部衣服を脱がせフランス側が用意した服に着替えさせた。テレジア女帝はロアンの私生活を嫌いこの破戒僧を警戒するよう娘に警告。後に有名な首飾り事件を起こしマリーアントワネットの滅亡のきっかけを作った。 |
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ストラスブルグのシンボルはこうのとり。街のあちこちにお土産にぬいぐるみなど売っている。こうのとりのご利益でこの街の人口が増えたという話は聞いてない。コウノトリは冬はモロッコに避寒に出掛ける。実際は野生のコウノトリはほぼ絶滅しており、市内では滅多に見ることはできない。市東部にあるオランジェリー公園内にコウノトリ飼育センターがあり、多数のコウノトリが飼育されている。 |
| 名物料理「シュークルート」ドイツ料理の酢漬けキャベツとソーセージの煮込みに似た料理。夜は、やはり名物であるフォアグラのテリーヌアルザスの名物は他にも多い。アルザスワイン、ボージュの深い森に住むエスカルゴの料理。 | |
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ヨーロッパ議会はストラスブルグに置かれている。 |
| 近くなったストラスブルグ | 2007年6月10日にはTGV東ヨーロッパ線が開業し、パリ東駅と2時間20分で結ばれた。
1988年には、ライン川の支流イル川の中洲にある旧市街が「ストラスブールのグラン・ディル」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
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