Illiers-Combray
イリエ-コンブレーはパリから約100キロ離れたところにあり、ノートルダム大聖堂で 有名なシャルトルからバスで約30分ほど行ったところ。シャルトル大聖堂はフランス一美しい薔薇窓ステンドグラスを持つ大寺院。もとはここはIlliers(イリエ)という名前だった。『失われた時を求めて』の20世紀最大の小説としての名声が高まるにつれ町の名前をIlliers-Combrayと変えてしまった。プルーストの小説の中に出てくるコンブレーは幼いプルーストがいつも夏を過ごしていたオトゥイユ(パリ16区)にある母親の叔父の家と、父親の故郷イリエの記憶が混じり合って生まれた町だといわれている。架空の街とは知らずmapで随分検索して苦労した。この小さな村の小川がなんと大河ロワールの源流。

はヨーロッパ最大の巡礼地でイリエはその西洋版お遍路さんの通路に当たる。彼等は貝殻(通行証を兼ねている)のついた杖で歩いた。正しいマドレーヌは貝がらの型で焼く。昔巡礼者が、帆立貝の殻を携帯用の食器として持ち歩いた風習からきているといわれている。巡礼路であったコンブレーの有名なマドレーヌを是非手に入れたくて店の休憩時間が終わるまで時間を潰して買った。日本に持ち帰り紅茶に浸して食べて幼いプルーストの連想に想いを馳せた。

コンブレーへ
この日のためにホテルはモンパルナス駅の前にとってあった。前日駅に行きシャルトル経由コンブレーまで往復切符を買った。ベルサイユだのコンビーユだの過ぎたあたりからフランスの穀倉地帯ボース平野を列車はしずしずと分け入っていく。一面の麦畑は緑の水彩を流したようだ。

そして、いよいよコンブレー駅に到着。そこは小さな無人駅。コンブレー駅の正面の通りを長いプラタナスの並木が冬の空に向かって一斉に枯れ枝を拡げていた。まっすぐに歩いていくとプルーストの名の中学高校があり町の案内図にもプルーストの顔が出ていてこの町名の由来が紹介されている。コンブレーは中央にカソリックの教会(サンージャック教会)町を要約するようにあって、その周りを侍女のようにを取り囲むようにして町ができあがっている。鐘の音がコンブレーの人々の生活を律するように時間を決めて鳴る。教会はまさにこの街の軸で求心的存在。  プルーストの遊び場所だった小公園(プレ・カトラン)を見てからプルースト記念館を見学した。
プルースト記念館
プルーストやその親戚のたくさんの写真や手紙が展示室が興味深かった。世はまさに映像の世紀を迎えようとしていた。ナダールは多くの世紀の著名人を撮し作家エミールゾラも素人はだしの写真家だった。ガイドが付いて説明してくれるが入館者は私がひとりだった。台所はプルーストの作品理解に重要だからよく見るよう言われた。プルーストがこだわったコーヒー。寝室にはちゃんとマドレーヌと紅茶のセットが飾ってあった。 多くの家具はパリの縁の家から運んだ実物だとか。。。家具の様式はアンペラータつまり皇帝様式第2帝政期のものとか、幼いプルーストの情感を育んだものは幻灯機だった。喘息で拘束された少年プルーストの日常に素晴らしい世界を垣間見せたに違いない。ベルエポック期のパリの貴族社会と大ブルジョワの子弟としてのプルーストが交差する。

売店でガイドのショパン夫人(実名!)と館長さんと3人で談笑した。念願の失われた時を求めてのイラスト本を買った。美しい本で嬉しかった。いまや世界一有名になったマドレーヌ菓子をお店の昼休みが終わり開店するのを待って買った。カメラを盗まれたので貴重な写真が無い。全然無い。いつかまたきっとこの静かな村を訪ねよう。

注文しておいたユリイカ(青土社)のプルースト特集が届いたのが出発間際だった。もじどおり泥縄式で一応読んだ。その甲斐あってガイドの夫人が館長にマダムはとても理解が深かったと褒めてくれていた。

Illiez-Combray

TOP戻る