フォーブルサントノーレ界隈
フォーブルについて パリはもともとセーヌ川の中洲島シテ島の集落からはじまり、城塞都市として中世の間発達していった。西フランク王国が断絶した後、パリ伯ユーグ・カペーがフランス王に推挙されたことから、フランス王国の首都となった。市の規模が大きくなるにつれ、城壁は何度か壊され市域が拡大していった。その城壁と接するあたりをフォーブルと呼んだ.
現在の市域が確定するのは19世紀半ばナポレオン3世治下のことである。1860年に当時のセーヌ県知事であったオスマン男爵(Georges Eug熟e baron Haussmann)が、現在の12区東部および13-20区のフォーブール(近郊)を新たにパリ市に編入し、また旧城壁およびオペラ通りをはじめパリの主要道路等を設定した。
右岸の時の宿はヴァンドーム広場近く。フォーブルサントノーレ散策に目と鼻。交通量も凄いのでジグザグには歩けない。行き帰りに右と左に分けて歩く。全く蟹の横這い状態で通りを歩く。まずは、ヴァンドーム広場からサントノーレ通りRue SaintHonoreのエルメス本店へ。サントノーレ通りをマドレーヌ寺院方向に歩きながらウィンドウショッピングを楽しむ。シャンゼリゼーと交差するあたりは大使館が並ぶ。わが日本の大使館も健気に日章旗をパリの空にはためかしている。エリーゼ宮が散策気分をきりりと締める。ここからきびすをくるりと変え今度は反対側を歩く。
パリの教会の中で、古代ギリシャ様式の建築はこのマドレーヌ寺院だけ古代ギリシアの神殿のようなマドレーヌ寺院。52本のコリント式の柱に支えられた高さ20メートルの巨大なキリスト教寺院。ルイ15世は5歳にして即位した直後宮廷医師団がサジを投げた危篤状態が奇跡的に全快。これぞ神のご加護と1764年に教会定礎。その後建築家2名が建築途中で相次いで他界しその都度設計変更を繰り返し、3人目の段階(ルイ16世の代)では革命で中断。その波瀾万丈な現状を見たナポレオンはギリシャやローマ大好きな「我が陸軍の栄光のシンボル」たる大聖堂をと望み1842年に完成させた。ショパンの葬儀はここで行われた。別れた恋人ジョルジュサンドは悲しみため床から起き上げれなくて欠席。夜はライトアップされ巨大十字架が浮かぶ。
Eglise Saint Philippe du Rouleという一見地味めな教会が好きだ。ちょうどヴァンドーム広場からシャンゼリゼーに向かうサントノーレ通りの中間にあるので休憩を兼ねてこの典雅な聖堂でお祈り!をする.
犬を連れた貴婦人
これです。
右岸のマダムの冬の制服。
ロングのミンクの毛皮に手にはエルメスのケーリーそしてパリの山手マダムの必携アイテムは、ワンちゃん。
パンの行列朝8時過ぎ。
サンロッシュ教会横のパンやの行列。『どうして?こんなに並んでる』『だって美味しいんだもの』と行列の中から応答あり。そうです。炊き立てのコシヒカリの新米と同じです。美味しいんでしょうきっと。納得。でもサンロッシュ教会は18世紀には人気抜群の教会だったとか。。フランス革命の時は王党派が立てこもったところ。
エルメス本店は日本人でびっしり。もともと馬具商。屋上の角に木馬が危なっかしく飾っている。
CARITA

カリタ本店のジャンクロード氏の予約がとれた。パリコレのモデルのヘヤメイク担当やセザール賞受賞のパリ美容界の大御所
『マダム貴女は当CARITAに何を求めておられるか?』。。。』と微笑む私。
『変化か?持続か?』とクロード氏。
『私はムッシュを全面信頼しているのでお任せ』と返事。

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