ナポリを見て死ね

BC7Cの古代ギリシア時代、ギリシアの植民都市になる。BC4C、古代ローマの支配下に置かれ、その後、ローマ帝国皇帝の避寒地として愛される。ローマ帝国の衰退とともに、ゲルマン民族の侵略が相次ぐようになり、11C初頭、ノルマン人が公国建設。12C〜19Cまでナポリ王国と称するも、ドイツのシュワビア家、フランスのアンジュー家、スペインのアラゴン王国と、度重なる支配を受ける。
ローマの一部でありながら、ナポリはギリシャ支配下の文化や言語を維持。この言語は現在のナポリ語の中にもまだ影響しているとか。
ユネスコ世界遺産
ナポリ歴史地区(1995)
ナポリは12の美術・博物館、4の大きな資料館、水族館、植物園、4の城、5つの橋、2つの王宮、6の公園、8の劇場、数々の噴水や広場、7の図書館、無数の大小の通りと建物からなりたっている。街には約200もの教会、そしてカタコンベがある。
卵城は12世紀、ノルマン王によってサンタ・ルチア港の埠頭にこの城を築くにあたり、基礎の中に卵を埋め込み、「この卵が割れるとき、城はおろか、ナポリの街にまで危機が迫るだろう」という呪文がかけられた、12Cに美しい海岸通りから海に張り出して築かれた古城。
サンタ・ルチア

世界三大美港のひとつ、サンタ・ルチア港
スパッカナポリ 有名なナポリの満艦飾は香港より凄い。一歩横道に逸れて旧市街の居住地区に入ればぴっちりと隣接したのアパートの窓から物干しの縄を相互に敷設、滑車も利用。歩行者は住人達の個性豊かな洗濯物下を歩くことになる。
露天の衣料店や八百屋の店先で、公然と銃やマシンガンが売られていて、警察の見回りがあると野菜ねどで覆い隠すとか、物騒な町だった。パレルモはマフィアの本拠地。航空や海洋の便がよいナポリはマフィアのお膝元という事情は今も同じ。その中でもスパッカナポリという通りは家族連れで現れた我が家は変わっている。
スパッカ・ナポリとは、ナポリを真っ二つに割るという意味。このエリアの中心に伸びる道が東西方向にまっすぐいくとドウモ。ここは聖ジェンナーロの血が年に二回程流れる奇跡があるとか。ナポリの旧市街の中心。ウンベルト一世大通りは、周囲の貧困とは違い、建物は重厚で大理石造り。この通りは中央に車線その脇に分離帯を挟んでまた道路があるという複雑な作りである。
ナポリと言う街 ナポリはイタリアの中でも車の運転マナー歩行者それを取り締まる警官のマナーも一番悪い。騒音は鳴りっぱなしのクラクションで耳が痛くなった。こんなにいい加減で暮らせるなんて素敵なことだ。しがらみを身から外し心が軽くなる街だ。

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