最後の日々 セントヘレナ島


セントヘレナ島

1815年10月連合軍の決議によって、アフリカ西岸のかなた約1800kmにある絶海の孤島セントヘレナに流された。イギリス艦「ベレロフォン号」が運んだ。

島の奥ロングウッド

のナポレオンの家

この島で口述筆記による回想録に熱中した。侍従でもあり、友人でもあったモントロン将軍が世話をしたが後に彼が毒殺の容疑説も出た。セントヘレナ日記は自伝でもあり壮大な歴史叙事詩でもある。これにより自己の功績を永遠に歴史に刻もうとした。
ナポレオンの健康が悪化しだすのは1820年に入った頃、翌21年4月には死期を悟り、遺言状の制作にとりかかった。5月5日、フランス皇帝ナポレオン1世の臨終。享年51歳。死因は胃潰瘍もしくは癌と診断された。最後までパリへの帰還を望んだ。その死因については胃ガン説が有力であるが、ヒ素による毒殺説もある。


私はセーヌのほとりでフランス国民に囲まれて眠りたい
皇帝の遺体が本国に戻ったのはようやく20年後。11月30日ナポレオン1世の無言の帰国を迎えるのはゆかりの3元帥をはじめとする沿道には約10万の群衆があった。英雄ナポレオンはアンバリッドに静かに眠りについた。棺には旧近衛兵が付き添いパリの街を進んだ。

アンヴァリッド廃兵院

1676年、ルイ14世により建てられたもの.退役軍人の療養所として5,000人も収容できる大規模な建物.フランス史を飾る軍人の墓所である。

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