皇帝への道  近代国家の創設者

ナポレオン語録
パリを世界一の都市にする。
国内の整備
フランスの対外戦争が一時沈静化した後、終身執政として国内の整備に邁進していたナポレオン。19世紀フランスの基本的な骨格を造り上げた。
交通網の整備。
このため飢饉のときなど食糧の調達が容易になった。
銀行の設立
発券機能を持つ中央銀行としてフランス銀行が設立さ れた。統一通貨の発行。1フランの裏側にはしっかり自分の顔を彫らした。
信仰の自由を認めた
ノートルダム寺院の修復も行った。革命後日々の生活の規律や心の拠り所を失っていた国民に圧倒的に歓迎された。
レジョンドヌール勲章の制定
受勲者はナポレオン政権の安定に大きく貢献した。
エコールポリテックの創設。
パリの近代化に着手
市場、墓地、、噴水セーヌの橋バンドーム広場カルーセル凱旋門在位中には未完の凱旋門。ルーブル美術館の拡張
ナポレオン語録
諸君まだ午前2時ではないか。目を覚まそう我々は国民の税金を使っているのだから
ナポレオンは睡眠時間は3時間食事には15分しかかけず昼夜を問わず働いた。
暗殺計画
1804年に発覚した大陰謀とそれに伴う王党派への激しい弾圧はついに無実のアンギアン公虐殺とまで発展。これはナポレオンの最大の汚点となった。この若きコンデ家の唯一の王子の逮捕を進言した宰相タレーラン『ナポレオンの登った玉座は無実の人間の血で汚れていた』まるで他人事のようにという。
戴冠式

統領政府樹立後も王党派によるテロが絶えないことから、ついにナポレオンは王党派の復活を防ぐという理由で自らが皇帝に就任することを宣言する。ナポレオンは宗教的な面から自身を権威付け、またそのことによりさらなる国内の安定を図ろうと画策。皇帝即位の戴冠式のためにローマ教皇ピウス7世をパリまで呼び寄せた。それがかえって教皇の反感を買うことになってしま う。フランスとローマ・カトリック教会は和解した直後ではあったが、この後急速に両者の関係は崩れていく。この後教皇をフォンテンブロー宮殿に幽閉するまでに悪化した。はるばるローマから呼び寄せて戴冠式のパーフォマンスの背景用に地上の神の代理人たる教皇を利用した。
12月2日ノートルダム寺院で戴冠。その瞬間は御用画家ダヴィッドの大作が後世に伝えている」50万人の民衆が見守るなか7000人の騎乗兵を従え式典に向かう華麗なイベントとなった。

この戴冠式にナポレオンは思いもがけぬパーフォマンスをする。いきなり教皇かた王冠を取り自分のそののちジョセフィーヌの頭上に載せた。この時ナポレオンは宗教的権威より王たる自分の優位を内外にはっきり示した。
再び王政(帝政)へ
わずか15年で革命により傷ついたフランスを再建したナポレオン。 絶対王政を革命で倒し共和制になったフランスは、こうして類稀な一人の軍人によって再び帝政へと移行。同時に身分に捕らわれない帝国貴族も誕生した。ブルボン王朝風の疑似宮廷をつくり旧貴族を招き作法を学ばせた。ナポレオン王朝は世襲制をとったので親族重用の弊害も生んだ。ナポレオンを封建制からの解放者と期待を裏切られベートーベンは献辞を破棄。曲名もポナパルドから英雄に変更。
ナポレオン語録
私は古代ギリシャの共同体国家(ボリス)がおこなったことをこの国で実現したかったのだ

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