11月27日モスクワの南西600kmの地点を流れるベルジナ河を渡った。架橋部隊は氷塊の流れる中を胸まで浸かって工事した。この橋に大挙兵士が押し掛けたために転落死続出の地獄絵だった。後を託された元帥達も兵士を見捨てもはや軍の態勢をなしてなかった。

大陸封鎖 

ナポレオン1はイギリスの経済力を破壊しようとした。ナポレオンのヨーロッパ支配にとってはイギリスが問題であったが,トラファルガーの海戦(1805)で艦隊を失い,軍事的解決の道が阻止されてこの体制を思い付く。ナポレオンは大陸での軍事的支配を確立しつつ1806年11月,ベルリン勅令を布告。大陸諸国のイギリスとその植民地との貿易を禁止した。1807年12月,ナポレオン=ミラノ勅令でますます体制を強化。1810年11月,フォンテーヌブローの勅令で極点に達した。イギリスが経済的な打撃を受けフランス経済もまた一時的には好都合であっても原料の供給などでつまずいた。ほかのヨーロッパ諸国はより大きな経済的困難におちいり,ナポレオンの失脚にとつながった。

ナポレオン語録 イギリス商品を閉め出さない限り両国の対立は永久に続くだろう。