シャンパーニュ地方ランス


パリ東駅からランスに向かった。パリ北東で列車で1時間半。駅に降り立つと冷気がさっと襲う。 アルザス・ロレーヌ地方の西側のシャンパーニュ 地方は一面の平原が広がり地名の語源も文字どおり平原を意味するラテン語のカンパニア。なるほど地形はぺたっとしている。

ランスの歴史
シャンパーニュの中心的な都市。
ローマの属州ベ ルギーの首都であったガリア=ローマ時代にさかのぼる。
ガロロマンの遺跡がT(トー)宮殿などに保存されている。498年にこの 地でフランク王国を統一したクロヴィスが洗礼を受けて以来シャルル 10世まで25人の歴代のフランス王が戴冠式を行ってきた。このためランスにはユネスコ世界遺産認定のモニュメントが4つもある。フランスの出口ランス=ドイツの入口。第二次世界大戦にはドイツ軍に占領され、壊滅的な被害を受けたが、1945年5月7日にはヨーロッパでの第二次世界大戦を終結させたドイツ降伏条約が調印されたことでも知られる。街のところどころに戦没者のモニュメントがある。

街の中心はフランスの3大聖堂のひとつノートル・ダム大聖堂がそびえステンドグラスも見事だが傷みも見られる。戦火で首の傷が痛ましい微笑みの天使を見上げる。その微笑みに会いたくてやっとここを訪れることができた。 このノートル・ダム大聖堂ではシャルル7世の戴冠式がおこなわれ、その際、ジャンヌ・ダルク王を列席し王を祝福した 。後に英国に彼女を売り火刑にした恩知らずな王だ。
交易の街 中世にはイタリアとフランドルを結ぶ南北の交通路、ドイ ツとスペインを結ぶ東西の交通路の交差点として繁栄。年6回 開催された「シャンパーニュの定期市」では羊毛や毛織物、皮革や香料、ワインなど各地の物産が取引され、信用取引や 為替など今日の銀行のシステムも発展した。
シャンパンの街

なんといっても特産品はシャンパン。街の郊外には一面ブドウ畑が広がる。石灰質の土壌で覆われたこのあたりは水はけもよく適度な酸味を持つ葡萄の栽培に適している。シャンパンという省略形でもよく呼ばれる発泡性のワイン。
船の進水式や優勝のセレモニー、結婚式などにお祝いなどでは欠かせない。
だがなんといっても戴冠式の祝い酒で有名。

主な産地 1)ヴァレ・ド・ラ・マルヌ
2)コート・デ・ブラン、
3)モンターニュ・ド・ランス の3つ。
シャンパンの旅
標高2百数十メートルの小高い丘の周囲が 北がヴェール川南はマ ルヌ川。最終的には 合流してセーヌ川となりパリを通ってドーバー海峡に注ぐ。シャンパンの普及に功績があったのは王室を含む英国貴族達。シャンパンの街から上得意様の英国までの長い川の旅だ。 ワイ ンの生産地の中でもっともパリに近い。気温も低く葡萄の栽培の北限 それでも独 自の方法による素晴らしいシャンパーニュというワインを生み出 した。まさに自然と神と人間の合作だ。
シャンパーニュの製法
は独自の瓶内2次発酵方式でシャンパーニュ方式という。マドリッド条約などにより他の地域ではシャンパー ニュという名称は使用不可になった。香水がシャンパンという名をつけて売りだしたら大目玉をくったのは有名。シャンパーニュ という名称を使う事が出来は シャンパーニュ地方のAOC法で指定され た畑から収穫され シャンパーニュ方式で醸造、熟成、瓶詰めされたものに限る。

1) 集荷したぶどうを順に絞ってから、タンクに貯蔵。そこまではワインと同じである。
2) ブレンドしたワインを瓶につめ、毎日少しずつ瓶を回して澱を瓶の口に集める。
3)瓶の口を凍らして澱をとり、同時にリキュールを添加する。
4)あとはカーブで熟成させて完成する。
いまはコンピューターで自動制御随分 楽になっているようだ。

シャンパン・ハウス
シャンパーニュ地区独自の存在.各自独自のブレンド技術で個性を守る。
Krug 手作りにこだわる。
Moet et Chandon ルイヴィトンも傘下ドンペリで有名
Veuve Cliquot クリコ未亡人の意。辛口
G.H.Mumm 藤田嗣治のラベルで名高い
Piper-Heidsieck マリーアントワネットに献上。カンヌ映画祭公式シャンパン
シャンパンの開け方
シャンパンは氷水などで2〜8度Cまで冷やし?
濡れているのでシャンパンの瓶を拭いてテーブルの上に立てて置?。
口金の周りのフォイルを切り取り?。
左手親指でコルクを押さえつけながら右手で口金をゆるめ?
口金が緩んだら、左手でコルクを押さえつつつゆっくりと外してゆき?
コルクをすこしづつ回していき?
中の炭酸の圧力でコルクが抜けはじめる?
最後は出来るだけ音をさせないようにするのが正式?
慶事には派手な演出でポンと音をさせた方が気分は最高。コルクを飛ばし天井を傷めた愚かな家もある。ナプキンなど布を添えると良い。グラスは細長く背の高いフリュート型がベスト。
シャンパンの歴史
時は17世紀。この地方エペルネーという町ベネディクト派のオーヴィレーヌ修道院の一角。会計食糧係りだった盲目の修道僧ピエール・ペ リニヨンは(目が見えたという説も) 「春になると自然にワインにできるアワの不思議」にこだわった。このアワへのこ だわりが今日あるシャンパンの出発点。モエ・シャンドン社は、有名なシャンパンを作った。その名はドンペリニオン。(Domは師の意)。彼の姿はシャンパン製造工程をモティーフにしノートルダム大聖堂のステンドグラスに描かれている。彼の人形も街で売っている。007のジェームスボンドはドンペリしか飲まなかった。
シャンパンの特徴

なんといってもあのアワ。黒いブドウと白いブドウから白いワインを作る。ブレンドワインであるということ。時には50種もの、生産年や畑や樽のちがうワインを調合混合大メーカーだけでも20社以上あり、その各社が4、5種の銘柄を出す。100種は軽くある。
炭酸入りのワインはスパークリングワインのこと。シャンパンではない。19世紀の初 めからはヴーヴクリコやポメリーなどによって改良され、今日のシャンパンができた。街のいたるところにシャンパン屋がある。

シャンパンの精?

カーブといわれる貯蔵庫は地下に網の目のように張り巡らせてある。この辺りはグリエールチーズのように穴が地面に開いているのか?と心配。
例をモエエシャンドン社の場合。シャンパン用ぶどうを栽培している300近い畑の中でも17の特級畑の10以上を傘下に持つ世界規模の大会社。隣のエペルネ−の町にあるカーブの長さ28Km, 貯蔵本数1億本(3年分)にもなるとか。

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KURUG本社

ランスのレオナルド藤田


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