アラバマ物語
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かってはフロリダの一部としてスペイン領。18世紀初頭はフランス系カナダ人が南下。フレンチインディアン戦争では英国領。1819年22番目の州としてアラバマ州誕生。1861年の南北戦争では南部連合。黒人差別はつずき1955年の首都モンゴメリーでおこった事件がその後の公民権運動の口火を切った。州最大の都市はバーミンハムでアパラチアの鉄鉱石と石炭で鉄鋼生産最近は自動車製造工場が進出。 綿花プランテェーションが発達。綿花ピーナツ大豆が主力。 |
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| 州中北部バーミングハム空港から車で2時間弱のヒクソン邸はなんと5万坪の敷地。森の中に彼が両親のために設計した住みやすそうなこじんまりした家がある。門から勿論車で移動する。歩くと7〜8分かかりそう。 | ||
| 夫の留学時代の同級生で既に4人の子持ち。ミニバスのヒクソンバスはクラスのスクールバスかわり。。料理上手な夫人のパーテイはクラスの学食代わり。卒業後は故郷アラバマに帰らず夫人の育ったサンフランシスコ郊外に移住した。サンフランシスコ湾の入り江の斜面に面した家は私達家族も何度か訪れた。彼等がアラバマの家を相続し移住したとき私達の西海岸の拠点を失いひどく落胆した。それに美術館の学芸員のの美術好き何より音楽会が大好きな夫妻のアラバマの生活も心配だった。イギリスから150年前ノースキャロライナに移住した先祖は綿花やピーナツ畑を所有した。もう人手のかかる綿花畑は直接経営せず委託経営。この家は元牧場。枯れ草がアチコチにロール状に巻き上げている。近所のボランティアが刈ってくれその代わり牧畜の飼料用にあげるそうだ。 | ||
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長女の夫は今は家具デザイナー。子供がいないので養子縁組をした。夕食に親子3人できた。5歳の男の子。ニカラグワの難民の子だという。 私はすぐにイソップを連想した。奴隷のイソップはそのあまりの聡明さ故に鎖を外され解放奴隷となった。『イソップ物語』今に読み次がれる傑作を残した。綺麗な目人の心を吸い取るような深い目。身のこなしの機敏さ、なによりもユーモアがある。『辛いことの多かっただろうに一切口にしない。完全に後ろにおいて来たように4歳までのことは言わない』とか。4歳だから耐えた壮絶さだったかもしれない。新米パパは息子と踊るのが大好き。凄いリズム感の坊や。彼がニカラグワから移し変えられた場所は愛情の花咲く大樹の地。 |
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この家の4人の子供達のキーワードは音楽。それぞれ配偶者は元音楽家。次女の婿はヴォーかリストだった。次男は交響楽団で弦を弾いていたが何年後の団員テストで外された。長男は父と同じく建築設計で西海岸で活躍。ハリウッドでも活躍できそうな偉丈夫。 | |
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この釣殿は亡くなった両親のためにたてたもの。暮れなずむ森のなかでロウソクの火が揺らめく。森はいろんな音がする。ねぐらに還る鳥達のラッシュアワー? | |
| 翌日銀行頭取の荘園である集まりに招待された。現代の馬車ならぬ既に車がゾロゾロと到着していた。 | ||
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アメリカ建国の歴史は実は南部から始まる。メイフラワー号が北部のプリマスに上陸したからそう思うのは無理はないが。ヨーロッパ人が最初に接触したところは南部なのだ。最大の内戦CivilWar南北戦争。実に5年に亘り両軍合わせ62万人の戦死者をだした。大荘園主達は擬似貴族社会をこの地に繰り広げた。北部の工業に対し彼等の富の基盤は綿花。黒人奴隷の労動力を必要とする。南北戦争はストウ夫人の『アンクルトムズケビン』で始まりマーガレットミッチェルの『風と共に去りぬ』で終わったといわれる。南北戦争で崩壊したものは経済社会組織だけではなかった。南部人の精神の奥深く支配していた騎士精神も風と共に去っていったのだ。 |
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門柱の上に対のパイナップルの置物。これは南部での歓迎のシンボル。典型的なジョージア様式の銀行頭取の邸宅。 | |
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サウスベルと呼ばれる南部美人の頭取夫人。全米美人コンテストの入賞者はこの地方の女性が多い。風と共に去りぬのメラニーもスカーレットオハラもこの地が生んだ美女。フラッパー時代の旗手『華麗なるギャッピー』のフィッツジラルド夫人ゼルダもジョージア州アラバマ州一の美女と呼ばれた。 | |
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| 『これがまさしくDeep Southなのよ』と深南部の社交生活の一端をかいま見せてくれた。ヒクソン家の遠来の客の私達も招待客に。この南部の紳士淑女の閉鎖社会はオールドマネーと呼ばれるアメリカの旧家達の世界。いつも幼馴染みで同じ顔ぶれで退屈ではないのだろうか?でものどかでいい雰囲気のパーティだった。 | ||
| 風と共に去りぬ HP |
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