パリのアメリカ人そしてアールデコ

1920年代に興味を持ちはじめた。第1次第2次両大戦に挟まれた時代.谷間の白百合のようにアールデコの芸術運動が花開いたわずか20年の間。直線幾何学模様それでいて軽やか迫りくる機械万能主義の予感。近代の幕開けの予兆。『移動祝祭日』ヘミングウェーのパリ時代の回想録を読んだこともきっかけ。以来パリ+1920年代+アールデコ+パリのアメリカ人というキーワードが頭のなかを風車のように回転をはじめた。
時代背景
大量消費時代の到来
20世紀が大量消費大量生産そしてコピーの時代であることを見抜いた目利きがいた。
そして機能的ナデザインの既製服への道を拓いたココシャネルの登場。 T型フォード大衆車1908年フォード社発売。1927年までの間に約1500万台発売。
強いドル

第一次大戦後のフランスはインフレが急激に進み、フランは1919年1月の1ドル=5,45フランから26年には1ドル=50フランに下落した。おかげで通貨としての$は圧倒的な強みを発揮。さぞや花の都での生活が豊かに享受出来ただろう。ガートルード・スタインやアーネスト・ヘミングウェー、スコット・フィッツジェラルドら「失われた世代」の米国人をはじめ多数の外国人がパリに移住する。
現代都市のライフ・スタイル誕生
「ヨーロッパでは世紀末や1920年代にかけて、大きな時代変換、のほとんどはこの頃に成立している。映画、ラジオなどのメディア、自動車、飛行機などの乗物、電気、水道による快適な近代生活、モダン・アートなどにこの時代変換はあらわれる。
フランス経済回復

1925年には「アール・デコ展」が開催され、シャネルとポワロも出展する。ポワンカレが財政危機の救世主として登場したのは翌26年であり、28年6月にはフラン平価を5分の1に切り下げる荒療治を行って金本位制に復帰する。フランス人はいまでも金が好きだ。せっせと壁にナポレオン金貨を塗り込めてヘソクリをしてるとか。

暗い予兆
繁栄のさなかにも立ち篭めた暗雲は近づきつつあった。第二次大戦の暗い予兆だ。

「1929年10月30日。昨日、ウォール街で大暴落があり、伯父が自殺した。母は狭心症に陥った。伯父が母と僕の財産管理をしていたからだ。パリの僕たちの現金は約一万フラン。宝石を売って生活費にしなければならない。もう日記を書く時間はない」
モーリス・サックスの回想録より

狂乱の時代
ラネ・フォル

フランスでは1920年代に消費文化が急激に進んだ。欧州大陸の真ん中のフランスにはもともと消費文化をはぐくむ土壌があった。本来陽気ラテン民族でもあり古代ローマ人やゲルマン民族の侵攻など絶えず外的に脅かされ続けてきたこと。スペインやハプスブルグ家の興亡を目の当たりにしたことから栄枯盛衰は世のならいで世界を未来永劫には支配できないことも知っている。現世謳歌の消費社会が育った。この時代の思潮が頂点に達するのが1920年代だった。第一次大戦で19世紀的価値観が一掃された。米国が強国として台頭し、未来永劫持続すると信じていた「西欧文明も滅びることがある」と悟ったからである。
パリのアメリカ人
パリを訪れるアメリカ人に対して決まり文句のように使われるのが「パリのアメリカ人」という言葉。1920年代にパリに集まった外国の作家、画家を総称して「エコール・ド・パリ」(俗にいうパリ派)という。が、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、T.S.エリオットなどアメリカの作家も多くいたことから「パリのアメリカ人」という言葉は生まれたらしい。かつて、文豪ヘミングウェーをして“移動祝祭日”と言わしめた街・パリ。金ピカの時代とまで嫌悪感を持って言われる程物質至上主義のアメリカを後にし精神の首都としてパリに吸い寄せられたのだろう。ファッション、文学、映画、音楽、ダンス…その魅力に触れた人は、生涯にわたって影響を受けたと言う。
アールデコの華

時代はアール・ ヌーボーを経てアール・デコ。正にベルエポック! 多くの文化が花開いたこの時代。またアメリカではアールデコの文化は大輪の見事な花を咲かせた。日本でも大正ロマンの時代である。
オールドノリタケ
フロリダ
アールデコ地区
フロリダ州マイアミにはこの時代の建物が多く現存している。
パリにアメリカ人が押しかけた理由
おりしもアメリカでは天下の悪法禁酒法が敷かれアルカポネが大活躍。世界では第一次世界大戦の被害がなかったアメリカのドルが力を増していた頃。芸術家や音楽家、そのほか多くのアメリカ人観光客がパリに憧れ、パリの街は賑わいを増した。一転債権国となりフランは衰弱し$が強かったこと。禁酒法施行のアメリカとちがいパリには美味しいワインがある。若い国アメリカの浅い文化と違い精神の首都としてのパリに草木も靡いたのだろう。ワインが一番の要因だと思う。今もパリには日本人と並んでアメリカ人観光客が多い。
Cafeに集まる人々

この世界中からこの界隈に漂着した異能達のcafeでの終わりなき会話こそ精神の溶鉱炉だった。この魂の触れあいが醸し出す熱気がこの時代にアールデコと呼ばれる芸術の華を咲かせた。 La Rotond 、le Select, le Dome, La Closerie des Lilas, la Coupole.
などのCafeこそは芸術家達の書斎や無形のアトリエでありデッサン帳だった。
フィッツジラルド
妻ゼルダと。
彼の作品『雨の朝巴里に死す』はこの時代の風潮を自らのパリでの生活を描いている。ロスト・ジェネレーション(失われた世代)と呼ばれる第一次大戦によって傷ついた若者たちが戦後、既成社会への反発から生み出した享楽的な都市風俗を描いた。ジャズエイジそして狂乱の1920年代を体現する作家として絶大な人気を得る。「バビロン再訪」も妻ゼルダとのパリでの奔放で享楽的な結婚生活を描いた。彼の死後15年を経てエリザベス・テイラー主演の実現。天下の美女ゼルダはまた芸術家でもあった。文才もなかなか。アメリカンドリームの体現者としてふたりはジャズ時代を駆け抜けていった。ジョジア+アラバマ両州一の美人と詠われたゼルダはやがて精神を病みボルティモア市の精神病院火災で亡くなる。彼女の身元は一対のスリッパで判明。落魄したフィッツジラルドはハリウッドで『風と共に去りぬ』の共同脚本家となるが彼の脚本は殆ど採用されなかった。
ジャズエイジ

フラッパーと呼ばれる女性達も踊り狂った。

Here the great minds gathered: Picasso, Modigliani, Soutine, Zadkine, Paul Fort, Appolinaire, Max Jacob,Sartre, Beckett Hemingway, Fargue, Breton, Cocteau, Fitzgerald, Henry Miller, Miro, Fujita... All have left their eternal mark in the memory of this area.

参考
フィッツジラルド
ゼルダ  早川書房

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